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日記
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物語を書いているんですが。

その物語は一次なのですが。

そして一次というひょうげんは二次が前提にあるわけでなんだかなーという感じなのですが。

とにかく物語を書いているわけです。

で、こうやってだらだらと文章を書いて物語を紡いでいると、たまにむなしくなるときがあります。

なにかしら、二次でもなんでも、なんかつくったことがある人がわかると思うんですが、作品をつくっていると、物語を創造しているというか、そぎ落としているという感じがいなめないんです。

そぎ落とす。

そぎ落としている。

一から二へいって3へ進んで4に行くということではなく、

こう、大きな”何か”をそぎ落としてそぎ落すことでしか、物語を作っていない気がするのです。

創造ではなくて、可能性をそぎ落としてそぎ落として、出来上がったのが物語りなのです、みたいな。

たとえば、キャラクターの口調で「ですです~」とかいう口調のキャラクターを登場させたとしますよね?

それが最初から出す予定だったキャラクターで、そのとおりの設定だったらいいんですけど、

おおかた自分の場合っていうのは、キーボードを適当に押したらそういう口調になったという感じなのです。

その時の気分に任せて深く考えずに、「~ですです」とかいう口調を書いてしまうわけですよ。

「ですです~」

ってね。

で、そうなると、一つのキャラクターが出来上がりますよね。

語尾に「ですです」ってつける登場人物があらわれることになります。

急に口調がかわると変ですから、それから先はその口調がずっと続いていくわけです。

ほら、これはキャラクターの創造ではなくて可能性のそぎ落としにすぎませんよね?

「ですです~」とか語尾につける不思議ちゃん以外の可能性が、ここでそぎ落とされたわけです。

不思議ちゃんキャラをつくろうとしたわけではなく、

なんにでもなれる可能性をもった空白を、「ですです~」という口調を書いたことによって、それ以外のすべての可能性をそぎ落としてしまったのですよこれがまた。

うへっへっへ。

ははははっ、おかしいなあ!

ほら、笑おうよ! みんなで笑おうよっ!

あははははは!


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・


……はあ、嫌だ嫌だ。

これはさすがに誇張されているというか大袈裟な例なんですけど、細かいところでこういうことって、自分の場合いっぱいあるんですよ。

だから所詮、物語なんてものは創造ではなく、他すべての可能性がそぎ落とされた結果にすぎないのではないかと、そんなことを思ったりするんです。

そうなったらもう嫌で嫌でもう嫌で。

何かを作り出すなんておこがましいことを考えているわけではないですが、さすがに自分のやっていることが、たんなる可能性のそぎ落としに過ぎないのではないかと思うと、やるせない思いにさせられます。

まあ、それよりも話をつくる快感がまさればなんの問題もないんですけど。

文章がうまくいかなかったり、話が進まなかったり、単純に自分のつくる話がつまらないと思ったりすると、どうしようもなくなるわけです。

そういうよく分からない、抽象的にすぎるお話でした。

終わり!!
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なんだか、さいきんとみに思うのですが、自分の体がとんでもないことになっています。

いや、とんでもないことに、とかいっても、別に邪気眼に目覚めたということではなく、ちょっとばかしなんだか変だなーということなのですが・・・・・

これはアレです。

アレなんです。

人の体の調子と精神状態の比例定数というか、なんかそんな感じのなんかなんです。

うーん、説明が面倒くさいもとい難しい。

ほら、体調っていうのはけっこう心の有りようによって変わりますよねー、ということなんですが、

これが最近の自分の体をかんがみるに、もう体調と精神状態が完全に比例してるんじゃないかってくらいにジェットコースターなんですよ。

なんか落ち込むことがあったら、いきなり発熱したりとか、

イライラと荒んだ感じにいると、喉やらどこかしらが痛くなったりと・・・・・

精神状態悪化→体調不良

という図式がちょっと異常なくらいにあらわれてるんですよこれが。

傍から見ればこんなものは、

「≪精神状態悪化→体調不良≫ じゃなくて、≪体調不良→精神状態悪化≫ってことじゃないの? なにを大袈裟にさわぎたてていることやら・・・・」

ってな感じなのでしょうが、なんか自分自身の内省をとおしてみると、あながち心から体への方向性もけっこうあるのではないかと思えてきたのです。

いやまあ、自分でも思いますけどね、体調悪くなったらイライラしますし落ち込むから、最初はそんな連関なのかなーとか思ったのですが、

あ、ダメだ。

なんか怪しい文章になってきた。

んでもって、これ以上書くと、

「こんな特別な私はスゴイっ!」

みたいな方へ一直線なのでこのへんでやめましょう!

うんうん、引き際が大事。

というか、なんで自分はこんなことに先回りして適応機制かましているのだろうか・・・・

さきまわり

さきまわり

どうしようもないなっ!

ほんとっ!
講談社ボックスってあるじゃないですか?

ほらあれです。

講談社のレベールの一つというか、なぜか本が変な箱にはいっているアレです。

まあ、今更ではあるんですけどね。

DDDとか化物語とか、数々の作品がてんこもりという感じで、本当に今更感があるのですが……

この講談社ボックス、ぜったいにアホだと思うんですよ。

いや、もちろんこれは私個人の意見でして、これはこれ、小説の新しい形を世に出したという考えもわかります。

分かるんですがしかし、どうなんでしょう。

このレーベル、どうなんでしょう。

なんかもう、私個人としては「どうしようもないな」という気持ちがいっぱいなんですよ。

だって、まず本屋で気軽に手にとれないでしょ?

あんなごつい本面倒くさくて本棚からだしたくありませんよ。

で、本棚からだしたとしても、次に中身を読むには箱から本をださなければならないわけでしょ?

これが一番面倒くさい。

だって、普通本買うときって、中身立ち読みしてから買うじゃないですか?

ネームバリューのある人の本だって、まず中身を見てから、面白そうだったら買います。これが私の本の買い方なんですが、

ぶっちゃけ、講談社ボックスは、そもそも中身を読もうという気持ちになれない。

面倒くさいんですよ。

箱から本だすのが面倒くさい。

だから、その本の内容が面白いものであれなんであれ、聞いたこともないような作者の本は絶対に買うことはない。

しかも、その面倒くさいという一面をこえても、次のネックが値段なわけですよ奥さん。

箱にはいっているからかしりませんが、値段が他のレーベルに比べて異様に高い。

もはやハードカバーの値段です。

いや、ひょっとしたらコレ、ハードカバーなんですかね? 
としたらまあこの値段もわからないことはないんですが、しかしそれにしたって高すぎる。

私は西尾維新が好きなのですが、それで今までその著作のすべてを買ってきたんですが、この講談社ボックスからでている刀狩り的な本だけは買ってないんですよ。

なんたって、薄っぺらいページ数しかないのに1000円ですからね。もうね、信じがたい。バカなのかとすら思う。そして、こんなわけのわからないものをつくりあげた講談社の編集部だか営業部だかの人たちに最大限の罵声をあびせたい。

いや、これはもうただのグチになっているわけで、これを読んでいる人に不快感を与えてしまうかもしれないんですが……

それにしたって、作品がかわいそうです。

講談社には講談社文庫があるんだから、こんなわけのわからないレーベルでださなくてもいいと思うんですよ。

何を思ってこんな講談社ボックスなるものをつくったのか。

意味がわからない。

それとも、自分の感性(笑)が時代についていけてないのでしょうか。

それならそれでいいのですが、もうお願いだから、あまりでしゃばるなというか、バカなことはしないでほしいというのが率直な思いです。

ちゃんちゃん。
なんだかあっとう間に光陰矢のごとしで、月日のたつのは早いなーと、なんとも老人じみた思考を今もっているのでありますが、それはそれ、これはこれで、私がこの前やったことを思い出しつつもこの日記というわけのわからない存在に書き連ねればいいのではないかと思うようであり、思わないようであり、それでいてヒマだからちょっとかいてみようかなーと思ったので書こうと思います。よし、これくら一文で書けば嫌気がさすだろう。計画通り計画通り……というはったり、もうダメだ。自分でも何を書いているのか分からなくなってきた。


で、えんため大賞というのがあるわけなんですよ。

えんため大賞です。

ええ、エンターブレイン……ファミ通文庫的なアレです。

で、そのえんため大賞に投降したんです。

小説です。

この前おくったのを流用して、えんため大賞におくってみました。

いや、流用といっても、この前MF文庫に投降したのをほとんど一から書き直したというもので、とりあえずどっかにださないことには、作品が可愛そうだったのでもう一回やってみよう! ということで。


いやでも、自分から見ても荒いし欠点が見え見えなんですよね。

なんなんでしょうね。

書き終わったあとはもう、俺ジーニアス状態で、

「俺はもしかしたら天才なのではないか。夏目漱石の生まれ変わり? ここの文体なん秋山瑞人を地で行くぜ!!」


もうね、アホかと。

真症のバカかと。

時間がたって冷め切った今現在としては、タイムマシンで過去にさかのぼって一発脳天を殴ってやりたいと思ってしまいます。

だって夏目漱石……夏目漱石とか、文豪ですよあなた。日本で2人だか3人だかしかいない文豪ですよ。

んで、秋山瑞人を地で行くって……それはアレでしょ? つまり、パクリってことじゃないですか! オリジナルティ。個性という名の幻想はどこにあるんじゃボケええ!!

はあ、まあいいです。

物語つくるのは難しいです。

でも、楽しいんですよね。

辛いけど、達成感というか、幻想空想の世界をつくる快感とかすばらしいものがありますしね。

うん、ということで、今やってる一次もがんばりたいです。

やっと4万文字で、半分いったかなというところなんですが、うん、まあそうですね。頑張ろう。うん、そうだ。頑張ろう。

いや、がんばんかうていいから、これは趣味としてでもなんでも、書くのを続けるということを目標にしよう。

うん、そうだ。

きっとそうだ。

よしよし。

いいぞいいぞ。

終わりです。

今日、いつもつかってる路線が人身事故で使えなくなりまして、迂回るーとを探したのですが、電車で行くことはできず、というわけで久しぶりにバスに乗りました。

驚いたのは、なんかバスに乗るときに、ほとんどの人が現金つかってなかったっていうことです。

いや、もうすっかり未来にきてしまった過去の人の心境でしたよ。

バスにのったのはもう2年前くらいになるでしょうか。そのあたりまでは、まだバスといえば現金で、カードつかったりする人はまだ少数派ではなかったかと思います。

それが今ではどうでしょう。

軽いカルチャーショックに陥りました。

ピッピ

ピッピ

ってね。パスモやらスイカやら、ピッピ、ってね。

いやはや便利になったものです。

正直、今日、私がバスにのることになったときには、

「ビクビク、小銭たりるかなー。両替して後ろがつかえるときまずくて嫌なんだよなー。あー憂鬱だ」

なんて小市民的に思っていたんですが、それがどうでしょう。一瞬にして清算がおわったしだいです。

鉄道会社とバス会社の金融商品的な策略を見た気がしました。

ちゃんちゃん。
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