日記
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ライトノベルにでてくる「学校」の場所は、山の上にあることが多い。
涼宮ハルヒの憂鬱、半分の月がのぼる空、ブギーポップは笑わない、エトセトラエトセトラといった具合に、ライトノベルにおける学校の場所は、山の上に立っているという場合が非常に多いのだ。
これは単なる偶然であろうか。
―――否、断じて否である。
・・・・・・・・・・なんだか堅苦しい文体で書こうとしたけれど無理でした。
もうばかばかしい。
んで、学校の場所ですよ。
多いんですよ山の上っていうシチュエージョンが。
で、これは偶然ではないと思うのです。
だって、山の上にある学校って現実世界にはあまりないでしょう。
それなのにも関わらず、なぜ虚構の世界では学校のある場所は山の上というのが多いのか。
これはひとえに、「境界」というキーワードが絡んでくると思うのです。
境界です。
つまり、日常と非日常の分水嶺となるところの境界なわけです。
街中に学校があるというのは、日常の延長線上に学校があるということです。
山の上に学校があるということは、非日常の中に学校があるということです。
ライトノベルにおける学校というのは、単なる学校ではなく虚構の上での学校です。
物語が非日常を描く以上(ここでいう日常とは現実世界の日々の営みみたいな文脈でお願いします)、その舞台となる学校もまた、非日常の中になければならないのです。
そりゃあ、殺人事件がおきたりする現場やら、その基幹となる舞台が、日常の中にあっては作品の非日常性が際立たないのですよ。
まあ、そんなこんなで、物語を非日常的な文脈でとらえるために、物語に登場スル学校というのは、山の上という日常とは少しだけ分離した場所にあるわけです。
はい。
なんだか抽象的すぎて伝わりませんねこれでは。
文章を書くということは、これを読む人をたえず説得していくことで、単なる自分の考えを提示するだけではいけないわけで、これではダメだなあ、という思いでいっぱいです。
終了うううううううううううううう!!
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