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厳しい暑さが続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。さて、ここで唐突ですが、一つみなさまにお知らせしたいことがあります。
思い起こせば、くすのき文具店というサイトが作られてから、色々なことがあったと思います。機械音痴の私が「簡単にできるホームページ」という本を片手に悪戦苦闘して出来上がったのがこのサイトなのですが、今思えばそれもまた素晴らしい思い出です。
本当に色々なことがありました。時空間移動さまに作品を投稿してから、私の二次創作の歴史が始まっていきました。今読み返すと、あまりの痛さにすぐさまページを閉じてしまうほどの拙さですが、自分なりに面白いものを書こうという熱意だけは伝わってきて、今の私にとっても見習わなければならないなと思うことしきりです。
ノベルゲームもつくりました。オリジナル小説も何本か書きました。そして、はじめて新人賞に投稿したという素晴らしい思い出もできました。
Fateにはまって、そこからTYPE-MOONにはいっていき、奈須きのこという作家に出会い、DDDにはまって、その世界観に魅せられてわけのわからない二次創作を今まで続けてきました。
本当に、素晴らしい思い出です。
さて、いろいろと助長めいてまいりましたが、肝心のことをいわなければなりません。
私、本日をもちまして、長期休暇をとらせてもらいます。なんだかもう、私にはいろいろと創作を続けていく力がないのではないかと思い、申し訳ないことですが、今日から長期休暇にはいりたいと思います。
力不足―――もうこの一言で済んでしまうのではないでしょうか。いいたいことが伝わらない。書きたいことが書けない。やりたいこととやっていることがチグハグだ。
2年前、小説を書き始めるときには、書き進めていけばいつの日にか、自由自在に小説という表現方法を使いこなせると思っていたのですが、まったくもって上達しません。
さらには、その技術があっても、私には伝えたい言葉も出来事も書きたいと思うような情景も場面もキャラも何もかも、すべてが自己満足で終わってしまうような浅はかさしかもっていないと、そのように今感じています。
自分は面白いと思っても、それが受け入れられない。その苦しみというのはなかなかどうして想像以上のものがありました。
感性が鈍磨し、何も感じず、何にも反応せずに、いいものが書けないのは当然です。
自分を守るためのいい訳で内心を満たし、考えることをやめた私には、もう小説を書く資格などないのでしょう。そう言い切るという姿勢がすでに逃避であり、その逃避を指摘したことが逃避であるし、その逃避を指摘したことを指摘することが逃避であり、このように先回りをして言葉を連ねていくことが逃避であり、そのように一般化して語ったことが逃避であり、このような言葉を続けているということがそもそもの逃避であり、逃避という言葉に逃避することが最悪の逃避であり、自分のダメな部分がすべてそこにつまっていて―――と結論づけることが逃げることに他ならなく、そのように指摘するということがすなわち予防線をはっているだけの愚行にすぎず、その愚行を自ら指摘することによる精神防衛こそ唾棄すべき活動で、このように言葉を続けるのが気持ち悪く、このように言葉を続けていくことに自虐的な恍惚さを感じることが浅ましく、それを指摘するのが殺してやりたいほどで、もはやどうしようもない……と三点リーダーでエトセトラを演出し永遠にこれが続いていくという自慢を書くのがどうしようもなく、それをわざわざここに書くというのが何様のつもりなのだという殺意を覚え、自分を自分で律しているかのような態度をとるというのが幻想にすぎず、つまりweb上で自己投影を行っているというバカさ加減で、それを指摘するのがもはや耐えられなく、ここまで続けて書いた自分は少々おかしいのではないかと自分を特別扱いするというのはもはやどうしようもなく、無個性のかたまりに過ぎない私が何をしようとも仕様がないというのに、リアルではないここに理想的なイデアを建築していて、悦に浸っているというのは思考なしの猿なのではないか―――そう思うしだいです。
なにはともあれ、今日から私は長期休暇にはいりたいと思います。今まで本当にありがとうございました。
…………
……
…
長期休暇
長い休み
今の季節は夏
私は大学生
…………つまり
―――夏休み!!
長期休暇という名の夏休み!!
つまり、今日から私は夏休み!!
大事なことだから3度言いました。もう一度いいたいと思います。
今日から私は夏休み―――長期休暇にはいります。
これからもくすのき文具店の更新を頑張っていきます。長期休暇にはいったので楽勝です。一日中大学で勉強ですが楽勝です。夏休みなんてあってないようなものだければ楽勝です。やったぁぁあぁぁぁ!! 夏休みだああああああああ!!
というわけで、バッカーノ!でした。
いやはや、嵌ってるからといって、すぐさま二次創作にしてしまうあたりが頭沸いてる証拠ですね。しかもオリキャラ満載でバッカーノファンの人たちを置いてけぼりにするところなんて、つくずく貴様はマイナー路線しかいけないようだな!!と自虐します。
でもマイナーという言葉を一文字変えるとマイザーですね。バッカーノの登場人物ですね。いや、今思っただけなので深い意味はまったくありません。
バッカーノ!にであったのは、TYPE-MOONのエイプフリールネタでした。あの分量のわけのわからない物語を書いたのは誰なんだおいこら、と調べているうちに成田良悟という作家だと気付き、そこから関連著作を読んできたという次第です。
最初はデュララララ!(ラの文字数これであってますか?)からいったわけですが、どうにもバッカーノ!は仕切りが高いというか、キャラが一杯でてくると聞いていたので、自分的にあうのかなーと思って敬遠していたのです。
私的には、一人とか二人とかの登場人物に焦点をあわせたのが好きなのですが、バッカーノ!はキャラがいっぱいでてきてその全員が主人公とかいっていたので、私には合わないのではないかと思っていたのです。
―――はい、バカでした。
怒涛の展開というか、次から次へと事件が起こって登場人物がそれに巻き込まれていくというのが、自分的にツボにはまりました。大好きになりました。はい。
キャラが一杯でるといっても、その一人一人が個性的ですから、まったく混同するということもありませんし、キャラ同士の兼ね合いとバカ騒ぎっていうのは、こんなにも面白いものなんだと読んでいて思いました。
たくさんでてくるキャラですが、やはり自分的に一番なのはアイザックとミリアの仮装強盗ですね。ぶっちゃけ、彼ら彼女らがいなかったら、バッカーノは完璧殺戮マフィアものになっていたと思うのですが、それをうまくエンターテイメントに落とし込んでいるのがアイザックとミリアで、というかそういう構成的なことを度外視しても魅力的すぎる登場人物です。だから二次創作のほうにもまっさきに登場してもらったということで……
しかし、書いていて思ったのですが、ミリアの突っ込みつつボケるあのアイザックとの兼ね合いが以外に難しかったです。バカになりすぎると萎えるし、かといって真面目にかしてしまってはそんなものミリアじゃねえよタコ!!といった感じですから、そこらへんのさじ加減がなんとも難しかったです。
続くか分かりませんが、なんだか書いた自分が何よりこの先をワクワクしているという自慰行為なので、気が向いたら続きをかきたいなと思います。プロットなんて一切決めていないという書き方で、えいや!! とばかりに書き始めたので、これからどうなるのか分かりませんが、そんな感じで。
自分的にこんなにキャラがいっぱいの作品は書いたことなくて、どう書けばいいのか分からないところがあるのですが、そこらへんも勉強ということで、なるべく続けていけたらなと思います。
ぶっちゃけ、クーラーを使ったら負けと思っているので、汗をだらだらさせながら今、キーボードを打っています。問題はpcが熱暴走をしないかということです。
なんだか、このごろ民俗学とか面白いなーと思います。民俗学といえば柳田国男ということで、この人の著作ではじめて読んだのは、高校のころに読んだ「妹の文化」だったような気がします。
「は!? 妹!? なになに、柳田国男ってシスコンだったの!? 宮沢賢治といい勝負じゃん!!」
とか思ってたのを覚えているのですが……なんだか記憶があやしいかもしれません。「妹の文化」は柳田先生の著作ではないかもしれません。でも、面白いのでこのままにします。なんていい加減なんだ……
でもこの人の本面白いですよね。学術って感じではなくて、本からの知識をまとめるという形ではなく、実地検分というか、日本中を歩き回ってその手の話しを「採集」していくという研究には、なんだか胸がときめいてしまいます。
祭りの変遷とか、路傍に立てられている道祖神とか庚申塔とかの由来とか、実に好奇心が刺激されるというか、忘れ去られていく日本の風俗やら文化やらが自分の中に蓄積されている過程がなんともいえずに自分の自己満足を満たしてくれます。
昔の人の著作なので、おそらく大学にいるうちにしか読めないような本がいっぱいあるのでしょうから、今のうちに読んでおきたいなーと思います。
あ、それとバッカーノ!って面白いんですね。最近みつけて読みまくっているのですが「ウッヒョー」っていう感じです。万歳!!
SF小説ということになってます、マルドゥックスクランブル。近代的な超科学で不思議な力でえんやほらなアレです。私は普通SFは読まないんですが(ハルヒはSFでいいんですかね?)このごろ、読む本、読む本に冲方丁という名前を見てたので、そこまでいうなら読んでやろうじゃないか!!(なにさま?)って感じで調べた結果マルドゥックに行き着いたという次第です。
最初はですね、「ふん、カジノシーンがすごいらしいが、しょせんはSFてきな超イカサマで乗り切るんだろう。そんなものはギャンブルの面白さをなにも分かってない証拠なんだ!!」とかわけワカメなことを考えていましたが、見事にやられてしまった感じです。
確かに超技術ですがね、ちゃんと「運」とかそれをふまえたうえでの「技術」とかをこれでもかと書き込んでいて、違和感どころかあれはもう完全なまでのギャンブル空間でした(ギャンブルなんてやったことないですが)
とにかく緊張感がすばらしかった。というか、アシュレイとのブラックジャックの勝負は、最後マジで鳥肌たちました。最高のエンターテイメントです。それでいて、その傑作場面のカジノシーンにほかの場面が食われてしまうということもなく、実に自然にカジノのシーンが組み込まれたということも、読んでてすごいなーと思ったところです。
出版社は早川文庫さんですねたしか。読んで損はないと思います。最高でした。
んで、見ている最中になんというか、「これに小説で勝つにはどうすればいいか……」というのを何故か考えている自分がいました。ここで勝つというのは、同じ話を小説でやった場合にどうすれば勝てるかなといった感じです。
結論としては、やっぱり心理描写くらいですかね、勝とうと思うならば。インパクトで小説が勝てるわけがない。向こうは視覚に加えて聴覚まで駆使して攻め込んできますからね。それも役者の声だけではなくBGMも波状効果で襲ってきます。これに小説が、インパクトで勝てるわけないでしょう。えーと、一つ一つのシーンのインパクトですねここで言うのは。伏線ばらまいて転につぐ転につぐ転を経由して怒涛のごとく結に行くというのであれば、そりゃあインパクトでも小説は勝てるのでしょうが、ここではすべての題材(物語)を演劇と同じにして小説で表現するとして、その場合にどうすれば勝てるかという、そんな感じなので……
感情移入のしにくいキャラにも心理描写いれまくって、さらにはいきなり過去の回想とか小説ではできるのでそんな物語の裏にある事情をバラまきまくるとか……それくらいですかね、マジで。
いや実際、なんで「どうすれば小説が演劇に勝てるのかなんて考えなくてはならないんだ。どっちにも同じように特性があって、二つは真似できないような表現方法があるのだから、比べるだけ無駄だ」と……まあ、そういうことは分かるんですけどね。
でも考えますよね、くやしいから。んでもって考えてみたところ、あれを小説でやっても勝てないんではないかという結論に達しますよね。小説における演出の大切さを身にしみて感じる昨今。何気ないシーンも演出ですばらしいものにできる手腕が欲しいと願ってやみません。
いやまあ、小説は料理と同じで、いくら料理人の腕があっても(文章力とか演出があっても)、料理の材料(物語そのものとか題材)がクソだったらどうしようもないと……それでも、料理人としての腕がないとにっちもさっちもいかないので、とにかく確かな技術を手に入れたいものです。