日記
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いやー、最近とみに思うのですが、
思うだけならこんなところで書かなくてもいいとおもうのですが、
それでもあえて言わせてもらえばこうなると思います。
「あえて言おう。感性(笑)が鈍磨していると!!」
みたいな。
こう感性(笑)とかいって(笑)マークつけるのも逃げ以外なにものでもないのでこれからはつけないようにしよう。
ならば、最初から書くな、もしくは書いたものを消せ、となるのが普通なのでしょうが、自己主張の激しい私としてはこのまま残しておくということを選びます。
と、わざわざこんなことを言い訳するのもなんなのですが、こうやっていくと際限がないのでもうやめましょう。
話に戻りましょう。
ずばり、感性です。
最近、本当にこの自分の感性が鈍くなっているのではないかなーと思うことしきりなのです。
具体例をあげるならば、
①ラノベが面白いと感じられない。
とかね。
今まで読んできた作家さんの本ならなんとかなるのだけど、よっぽど面白い本でないかぎり、本屋であらすじ読むだけでお腹いっぱいになってしまうのですよ。
なんなんでしょうね。
別に本の内容のレベルが下がったとかそういうことではないと思うのですよ。
本自体の内容は昔から今まで変わらないでしょう。にも関わらず、つまらくて仕方ない。
これはもう、どう考えても自分の感性が鈍っているとしか思えない。
もしくは、段々と中高生の嗜好が分からなくなっているとかそういう感じなのでしょうか。
それはそれで絶望的で、私はこれからどうやって人生を楽しめばいいのだと絶望感に打ち震えます。
これはあれですよ。
そのうち、世に言う古典小説しか読めなくなるフラグですよ。
「ドストエフスキーがどうたらこうたらで、夏目漱石がどうたらこうたらなんだよー」
とかね。
そういう世間で認められたものしか読めないで、あきらかにそれは気持ち悪いのにそれがいいことだと勘違いしているわけのわからない人間になるのですよ。
うへっへ。
やってらんねえぜ!
なんだか具体例をラノベしか言ってませんが、これが他のエンターテイメントにも顕著なんですよ。
漫画。
アニメ。
映画。
音楽。
いっさいがっさい例外なく、年とるごとに、心の底から熱中できなくなってるのを感じるのですよ。
まあ、とにかく今まで自分が熱中してきた作家さんは別で、その人たちの作品なら「ちょー面白れえ」状態になれるのですが……
それだって、中高生のときの熱意の残滓のようなものではないかという疑念が、ふと胸のなかによぎったり……
心が動かなくなる・・・・・とかこれまた抽象的ですが、しかし何事も停滞はよろしくないと思うのですよ。
しょせん人間は自給自足できないわけで、隣人や虚構世界で心を動かしてもらわなければ、もうそれは人形なのではないかと。
人間ではないのではないかと。
人間だとしてもつまらない人間なのではないかと。
つまらない人間とは感性が欠如した人間なのではないかと。
ならば今の私はどうなのかと。
感性が鈍磨しているのかと。
それならば私はつまらない人間なのかと。
それならそれでいいので、好きだったものに情熱をかたむけられなくなるのは寂しすぎるので勘弁してください。
お願いします・・・・・
おねがいします・・・・・
オネガイシマス・・・・・・
・・・・・・・さいきん、自分の日記が精神論というか抽象的すぎるので、もう少しどうにかしたものです。
次は自分の足の指の形とかブログに書こうかなと思います。
親指の肉がけっこうあつくなっていて、
これは野球部でキャッチャーやってたからなのですが、
書いていて面白くないのでやめましょう。
終わり!!
思うだけならこんなところで書かなくてもいいとおもうのですが、
それでもあえて言わせてもらえばこうなると思います。
「あえて言おう。感性(笑)が鈍磨していると!!」
みたいな。
こう感性(笑)とかいって(笑)マークつけるのも逃げ以外なにものでもないのでこれからはつけないようにしよう。
ならば、最初から書くな、もしくは書いたものを消せ、となるのが普通なのでしょうが、自己主張の激しい私としてはこのまま残しておくということを選びます。
と、わざわざこんなことを言い訳するのもなんなのですが、こうやっていくと際限がないのでもうやめましょう。
話に戻りましょう。
ずばり、感性です。
最近、本当にこの自分の感性が鈍くなっているのではないかなーと思うことしきりなのです。
具体例をあげるならば、
①ラノベが面白いと感じられない。
とかね。
今まで読んできた作家さんの本ならなんとかなるのだけど、よっぽど面白い本でないかぎり、本屋であらすじ読むだけでお腹いっぱいになってしまうのですよ。
なんなんでしょうね。
別に本の内容のレベルが下がったとかそういうことではないと思うのですよ。
本自体の内容は昔から今まで変わらないでしょう。にも関わらず、つまらくて仕方ない。
これはもう、どう考えても自分の感性が鈍っているとしか思えない。
もしくは、段々と中高生の嗜好が分からなくなっているとかそういう感じなのでしょうか。
それはそれで絶望的で、私はこれからどうやって人生を楽しめばいいのだと絶望感に打ち震えます。
これはあれですよ。
そのうち、世に言う古典小説しか読めなくなるフラグですよ。
「ドストエフスキーがどうたらこうたらで、夏目漱石がどうたらこうたらなんだよー」
とかね。
そういう世間で認められたものしか読めないで、あきらかにそれは気持ち悪いのにそれがいいことだと勘違いしているわけのわからない人間になるのですよ。
うへっへ。
やってらんねえぜ!
なんだか具体例をラノベしか言ってませんが、これが他のエンターテイメントにも顕著なんですよ。
漫画。
アニメ。
映画。
音楽。
いっさいがっさい例外なく、年とるごとに、心の底から熱中できなくなってるのを感じるのですよ。
まあ、とにかく今まで自分が熱中してきた作家さんは別で、その人たちの作品なら「ちょー面白れえ」状態になれるのですが……
それだって、中高生のときの熱意の残滓のようなものではないかという疑念が、ふと胸のなかによぎったり……
心が動かなくなる・・・・・とかこれまた抽象的ですが、しかし何事も停滞はよろしくないと思うのですよ。
しょせん人間は自給自足できないわけで、隣人や虚構世界で心を動かしてもらわなければ、もうそれは人形なのではないかと。
人間ではないのではないかと。
人間だとしてもつまらない人間なのではないかと。
つまらない人間とは感性が欠如した人間なのではないかと。
ならば今の私はどうなのかと。
感性が鈍磨しているのかと。
それならば私はつまらない人間なのかと。
それならそれでいいので、好きだったものに情熱をかたむけられなくなるのは寂しすぎるので勘弁してください。
お願いします・・・・・
おねがいします・・・・・
オネガイシマス・・・・・・
・・・・・・・さいきん、自分の日記が精神論というか抽象的すぎるので、もう少しどうにかしたものです。
次は自分の足の指の形とかブログに書こうかなと思います。
親指の肉がけっこうあつくなっていて、
これは野球部でキャッチャーやってたからなのですが、
書いていて面白くないのでやめましょう。
終わり!!
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