日記
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「空の教場」と言ってました。なにがって、映画館のチケット売りの人が「空の教場の上映館はあちらです」って言ってました。笑いをこらえるので必死でした。教場って……しかもカラ……なんだろう、あの人はどんなイメージを脳裏に浮かべながら「空の教場」とか言ってたのだろう。こう、ガランとした教室の一風景でも想像していたのかなと逆に想像してみます。
四章ですね。平日のど真ん中ですね。大学生万歳。はじめてこういうことをしてみてハラハラドキドキ。お前3年にもなって……と自分で自分を哀れんでいたのですが、まあいいでしょう、タマには。
感想としては、エンターテイメントだなーと、何よりもまず思ったりしました。とくに、最後の戦闘シーンは圧巻でした。パンフレットにもありましたが、王道、っていう感じで実に素晴らしいものがあったと、そう思います。
ただですね。ネタバレなんですが、最後の戦闘シーンにかぶさるようにして、いきなりコクトー君が歌いだしたのには少々面食らいました。口元を押さえました。いけない映画館で笑ってはいけないと、懸命に笑い声が喉をでていかないように気力を振り絞りました。英語の歌をですね、唐突に歌いだしたんですよコクトーくん。あれ、何か由縁があるんですかね? 正直、空の境界はそんなに読み込んでないので、正確なところはわかりませんが、とにかくいきなり英語の歌をアカペラで歌いだしたのはまいりました。もうちょっとやりようがあったのではないかなーと、気楽な観客としては批評してみたり。
しかしまいりましたね。まいってばかりですね。なにがって、まず式の長髪とかちょっと眩暈がしましたね。2章は見てないので、というか2章でも長髪はなかったのか分かりませんが、とにかくあれは反則です。いっそのことずっと長髪でいてくれたらなと思ってたらザックンバリンに切りやがりましたけどね式。やめろおお、とか内心で叫んだり。いや、そのシーン格好よかったので相殺ですが。
あとはトウコさんですね。漢字変換めんどいのでカタカナです。いい加減です。何がやばいって、あの谷間はないでしょしかし。よりいっそう特モリというか、むー、私としては昔のより今のほうが好きですね。とくにメガネなしモード――いわゆる外道トウコはすばらしい。あー、はやく魔法使いの夜でないかなっと。
で、パンフレットの中で、四章はコピー誌をつくるためのボーナストラック用に作成されたものらしくてですね、あの分量を短期間で仕上げたようなんですよね菌糸類サマは。なんなんでしょうねそれは。わけわかめです。昆布わかめ、とペンネームを戒名すべきです。まったく脱線しっぱなしですが、まだまだいきます、
4章見て思ってたのは、やはり心理描写っていうのは小説の専売特許なんだなということでした。漫画とかでもいいんですけどね。「声」が入ってしまうとやっぱりダメなんだと思います。声優さんの声が入ると、そこには間接物というか介在物がはいってしまって、一直線で読み手の胸のうちにはいってこない。はいってくるのはあくまでも「声」に裏打ちされているような情報が限定化された心情で、それではあまり心理描写の意味がない。読者に親近感がわいてこない。必要なのは読者に解釈をまかせることで。心理描写はなるべく情報量が少ないほうがいい。「声」によって方向付けがなされていないほうが、すんなりいく。胸のうちにおさまる。つまり、心理描写は心理描写として機能する。「声」が入ると、それはもはや心理描写ではなくセリフである。共感というものをそこから捻りだすのは難しいと―――なんかそういうことを思いました。
脱線汗腺新幹線といった感じですが、とにかく四章もすばらしかったと。5章が楽しみだと。それは何よりもまず思いますね。イエイ。
……でも5章のあの分量を映像にするのって、どれくらいの尺になるのだろうか。ちょっぴり不安で益々楽しみになりますね。
四章ですね。平日のど真ん中ですね。大学生万歳。はじめてこういうことをしてみてハラハラドキドキ。お前3年にもなって……と自分で自分を哀れんでいたのですが、まあいいでしょう、タマには。
感想としては、エンターテイメントだなーと、何よりもまず思ったりしました。とくに、最後の戦闘シーンは圧巻でした。パンフレットにもありましたが、王道、っていう感じで実に素晴らしいものがあったと、そう思います。
ただですね。ネタバレなんですが、最後の戦闘シーンにかぶさるようにして、いきなりコクトー君が歌いだしたのには少々面食らいました。口元を押さえました。いけない映画館で笑ってはいけないと、懸命に笑い声が喉をでていかないように気力を振り絞りました。英語の歌をですね、唐突に歌いだしたんですよコクトーくん。あれ、何か由縁があるんですかね? 正直、空の境界はそんなに読み込んでないので、正確なところはわかりませんが、とにかくいきなり英語の歌をアカペラで歌いだしたのはまいりました。もうちょっとやりようがあったのではないかなーと、気楽な観客としては批評してみたり。
しかしまいりましたね。まいってばかりですね。なにがって、まず式の長髪とかちょっと眩暈がしましたね。2章は見てないので、というか2章でも長髪はなかったのか分かりませんが、とにかくあれは反則です。いっそのことずっと長髪でいてくれたらなと思ってたらザックンバリンに切りやがりましたけどね式。やめろおお、とか内心で叫んだり。いや、そのシーン格好よかったので相殺ですが。
あとはトウコさんですね。漢字変換めんどいのでカタカナです。いい加減です。何がやばいって、あの谷間はないでしょしかし。よりいっそう特モリというか、むー、私としては昔のより今のほうが好きですね。とくにメガネなしモード――いわゆる外道トウコはすばらしい。あー、はやく魔法使いの夜でないかなっと。
で、パンフレットの中で、四章はコピー誌をつくるためのボーナストラック用に作成されたものらしくてですね、あの分量を短期間で仕上げたようなんですよね菌糸類サマは。なんなんでしょうねそれは。わけわかめです。昆布わかめ、とペンネームを戒名すべきです。まったく脱線しっぱなしですが、まだまだいきます、
4章見て思ってたのは、やはり心理描写っていうのは小説の専売特許なんだなということでした。漫画とかでもいいんですけどね。「声」が入ってしまうとやっぱりダメなんだと思います。声優さんの声が入ると、そこには間接物というか介在物がはいってしまって、一直線で読み手の胸のうちにはいってこない。はいってくるのはあくまでも「声」に裏打ちされているような情報が限定化された心情で、それではあまり心理描写の意味がない。読者に親近感がわいてこない。必要なのは読者に解釈をまかせることで。心理描写はなるべく情報量が少ないほうがいい。「声」によって方向付けがなされていないほうが、すんなりいく。胸のうちにおさまる。つまり、心理描写は心理描写として機能する。「声」が入ると、それはもはや心理描写ではなくセリフである。共感というものをそこから捻りだすのは難しいと―――なんかそういうことを思いました。
脱線汗腺新幹線といった感じですが、とにかく四章もすばらしかったと。5章が楽しみだと。それは何よりもまず思いますね。イエイ。
……でも5章のあの分量を映像にするのって、どれくらいの尺になるのだろうか。ちょっぴり不安で益々楽しみになりますね。
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