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日記
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ひさしぶりに、

3ヶ月ぶりに、

二次創作を更新しました。

ははは、それがどうやら境界線上のホライゾンの二次創作ですよ。

まあ、好きなのだから仕方ない。うん、仕方ない。

しかし、久しぶりに二次書いたからか、どうにも中途半端な結果になってしまいました。

分量も少なめですし、ギャグなのかなんなのか分からないという結果になってしまいましたね。

もっと突き抜ければよかったと思いました。

で、更新日にちがタイムスリップしているのは、なかなかftpがつながらなかった結果と思っていただければと思います。

これはfc2の陰謀です。

嘘です。

メールチェックをほとんどしない私の怠慢です。

七音さんのホームページで始めてfc2のホームページ変更に気付いたしだいです。

あー、よかった。

なんかつまはじきにされているのかな、とか思いました。

それはないですね。

どんだけなんですかね。

とにかく、境界線上のホライゾンは面白いですね。

このテンションはなんなんですかね?

阪神が弱すぎるので誰かどうにかしてくれませんかね。

個人的には濱中を放出した首脳陣が憎くてしかたないんですけどね。

濱中放出した結果がこれだよ!

まあ、もうかなり昔の話にはなるんですけどね。

バカとしか思えませんね。

いや、監督批判とか選手批判をするつもりはないんですけどね。

どうにも首脳陣がバカすぎるのではないかとか思うわけですね。

二次創作の話しからいきなり阪神の話しにつながりましたね。

どうしようもないですね。

阪神・・・・・

頑張ってくれ・・・・・

頑張ってくれ阪神!



あと、ミトツダイラは俺の嫁!



(なんだこの支離滅裂感は・・・・・)
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いやあ、境界線上のホライゾンは面白いです。

二度目ですが、

二巻でて二度目の日記なのですが、面白いことに変わりはないので別にいいかなと思います。

もうね、無限ループ状態。

何回読んでも味がでて、飽きるという言葉が存在しません。

噛めば噛むほど味がある。

「これはもう、一種のスルメですな」

とかなんとか。

個人的には西尾維新の傷物語とか読みたいのですが、もうちょっと間隔置いたほうがいいかなとか思います。

いきなり西尾先生にいくと、世界観が違うのでちょっとなじむまでに時間がかかってしまうのではないかと思うので、とりあえずは、もうちょっと川上んワールドにひたりたいと思います。

あー、

面白いー、

こう書くとー、

棒読むっぽくなる不思議ー、

熱くしなくてはー、

いけないのでー、

こんなー、

感じでー、

どうでしょうかー、



「境界線上のホライゾンは面白いぜえええ!!(ズッキュウウウン!!」
先日、私はなんか変な記事を書きました。

感性が鈍磨しているとか。

ありとあらゆる作品が面白いと感じられないとか。

わからのわからない記事を書きました。



前言撤回!



境界線上のホライゾン。

川上稔の最新作が発売され、それを当然のように、買い、さきほど読了。

感性?

作品を面白いと感じられない?

バカ言っちゃいけませんよ。

何を言ってるんですかと。

頭は大丈夫かと。

こんな面白いものがあるのに、「ぼく、何を見ても面白と感じられないんです」とか、アホかと。

狂ってるのかと。

目玉はちゃんと開いているのかと。

ああ、もう、とにかく境界線上のホライゾンを面白すぎる!

まずその分厚さに本屋でゲラゲラするわけですよ。なんといっても900ページですよ?

900ページとか……しかもまだ序盤なのにこれからどうなるんですか展開といった感じです。

で、当然のように内容もまた素晴らしく、前回以上のはちゃめちゃっぷりが大炸裂なわけですよこれがまた。

まあ、やはり私はこの作品の肝は「交渉」というところにあると思うのです。

持ってるカードと相手のカードを推測しあいながら、少しでも自分に有利な条件で進める交渉。

燃える。

しかし、燃えるだけではなく、川上稔がすごいのはこれを極上のエンターテイメントにしてしまっているところです。

もうね、すごいとかしかいいようがない。

トリプルアクセルでDOGEZAとか「げらげら」笑いが止まらなかったし、オチもあるというか、もはや起承転結が兼ね備えられた交渉シーンって……よくもまあこんなものを書けるものです。

ぶっちゃけ、この「交渉」というものに着眼点を置いた作品を書けるのは、日本の中では川上稔だけなのではないでしょうか。

さらにはキャラクター描写が素晴らしく、なんでここまで大人数をだしておいて破綻しないのだと驚嘆同地です

とくに今回は、忍者キャラの点蔵の躍進ぶりがすごい。

前作ではなんか「こいつエセ忍者なんじゃねえの? 御座る口調がゆるされるのは小学生までだよね~」とか思ってたんですが、

かなりかっこいいというか、おまけに金髪巨乳を射止めて殺してなりたくなるというか殺してやりたくなるというか殺してしまいたくなるというか……

おまけにいいところで次巻に引いてますし、いうことなしですね。

来月がまた楽しみになりました。

おそらく次の巻はネシンバラがいろいろ躍進するのでしょう。いや、まだ点蔵のターンも終わってないですし、楽しみはつきないですね。

いやあ、面白かった。

すばらしい。

よかった。よかった。
いやー、最近とみに思うのですが、

思うだけならこんなところで書かなくてもいいとおもうのですが、

それでもあえて言わせてもらえばこうなると思います。



「あえて言おう。感性(笑)が鈍磨していると!!」


みたいな。

こう感性(笑)とかいって(笑)マークつけるのも逃げ以外なにものでもないのでこれからはつけないようにしよう。

ならば、最初から書くな、もしくは書いたものを消せ、となるのが普通なのでしょうが、自己主張の激しい私としてはこのまま残しておくということを選びます。

と、わざわざこんなことを言い訳するのもなんなのですが、こうやっていくと際限がないのでもうやめましょう。

話に戻りましょう。

ずばり、感性です。

最近、本当にこの自分の感性が鈍くなっているのではないかなーと思うことしきりなのです。

具体例をあげるならば、

①ラノベが面白いと感じられない。

とかね。

今まで読んできた作家さんの本ならなんとかなるのだけど、よっぽど面白い本でないかぎり、本屋であらすじ読むだけでお腹いっぱいになってしまうのですよ。

なんなんでしょうね。

別に本の内容のレベルが下がったとかそういうことではないと思うのですよ。

本自体の内容は昔から今まで変わらないでしょう。にも関わらず、つまらくて仕方ない。

これはもう、どう考えても自分の感性が鈍っているとしか思えない。

もしくは、段々と中高生の嗜好が分からなくなっているとかそういう感じなのでしょうか。

それはそれで絶望的で、私はこれからどうやって人生を楽しめばいいのだと絶望感に打ち震えます。

これはあれですよ。

そのうち、世に言う古典小説しか読めなくなるフラグですよ。

「ドストエフスキーがどうたらこうたらで、夏目漱石がどうたらこうたらなんだよー」

とかね。

そういう世間で認められたものしか読めないで、あきらかにそれは気持ち悪いのにそれがいいことだと勘違いしているわけのわからない人間になるのですよ。

うへっへ。

やってらんねえぜ!

なんだか具体例をラノベしか言ってませんが、これが他のエンターテイメントにも顕著なんですよ。

漫画。

アニメ。

映画。

音楽。

いっさいがっさい例外なく、年とるごとに、心の底から熱中できなくなってるのを感じるのですよ。

まあ、とにかく今まで自分が熱中してきた作家さんは別で、その人たちの作品なら「ちょー面白れえ」状態になれるのですが……

それだって、中高生のときの熱意の残滓のようなものではないかという疑念が、ふと胸のなかによぎったり……

心が動かなくなる・・・・・とかこれまた抽象的ですが、しかし何事も停滞はよろしくないと思うのですよ。

しょせん人間は自給自足できないわけで、隣人や虚構世界で心を動かしてもらわなければ、もうそれは人形なのではないかと。

人間ではないのではないかと。

人間だとしてもつまらない人間なのではないかと。

つまらない人間とは感性が欠如した人間なのではないかと。

ならば今の私はどうなのかと。

感性が鈍磨しているのかと。

それならば私はつまらない人間なのかと。

それならそれでいいので、好きだったものに情熱をかたむけられなくなるのは寂しすぎるので勘弁してください。

お願いします・・・・・

おねがいします・・・・・

オネガイシマス・・・・・・

・・・・・・・さいきん、自分の日記が精神論というか抽象的すぎるので、もう少しどうにかしたものです。

次は自分の足の指の形とかブログに書こうかなと思います。

親指の肉がけっこうあつくなっていて、

これは野球部でキャッチャーやってたからなのですが、

書いていて面白くないのでやめましょう。


終わり!!
物語を書いているんですが。

その物語は一次なのですが。

そして一次というひょうげんは二次が前提にあるわけでなんだかなーという感じなのですが。

とにかく物語を書いているわけです。

で、こうやってだらだらと文章を書いて物語を紡いでいると、たまにむなしくなるときがあります。

なにかしら、二次でもなんでも、なんかつくったことがある人がわかると思うんですが、作品をつくっていると、物語を創造しているというか、そぎ落としているという感じがいなめないんです。

そぎ落とす。

そぎ落としている。

一から二へいって3へ進んで4に行くということではなく、

こう、大きな”何か”をそぎ落としてそぎ落すことでしか、物語を作っていない気がするのです。

創造ではなくて、可能性をそぎ落としてそぎ落として、出来上がったのが物語りなのです、みたいな。

たとえば、キャラクターの口調で「ですです~」とかいう口調のキャラクターを登場させたとしますよね?

それが最初から出す予定だったキャラクターで、そのとおりの設定だったらいいんですけど、

おおかた自分の場合っていうのは、キーボードを適当に押したらそういう口調になったという感じなのです。

その時の気分に任せて深く考えずに、「~ですです」とかいう口調を書いてしまうわけですよ。

「ですです~」

ってね。

で、そうなると、一つのキャラクターが出来上がりますよね。

語尾に「ですです」ってつける登場人物があらわれることになります。

急に口調がかわると変ですから、それから先はその口調がずっと続いていくわけです。

ほら、これはキャラクターの創造ではなくて可能性のそぎ落としにすぎませんよね?

「ですです~」とか語尾につける不思議ちゃん以外の可能性が、ここでそぎ落とされたわけです。

不思議ちゃんキャラをつくろうとしたわけではなく、

なんにでもなれる可能性をもった空白を、「ですです~」という口調を書いたことによって、それ以外のすべての可能性をそぎ落としてしまったのですよこれがまた。

うへっへっへ。

ははははっ、おかしいなあ!

ほら、笑おうよ! みんなで笑おうよっ!

あははははは!


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・


……はあ、嫌だ嫌だ。

これはさすがに誇張されているというか大袈裟な例なんですけど、細かいところでこういうことって、自分の場合いっぱいあるんですよ。

だから所詮、物語なんてものは創造ではなく、他すべての可能性がそぎ落とされた結果にすぎないのではないかと、そんなことを思ったりするんです。

そうなったらもう嫌で嫌でもう嫌で。

何かを作り出すなんておこがましいことを考えているわけではないですが、さすがに自分のやっていることが、たんなる可能性のそぎ落としに過ぎないのではないかと思うと、やるせない思いにさせられます。

まあ、それよりも話をつくる快感がまさればなんの問題もないんですけど。

文章がうまくいかなかったり、話が進まなかったり、単純に自分のつくる話がつまらないと思ったりすると、どうしようもなくなるわけです。

そういうよく分からない、抽象的にすぎるお話でした。

終わり!!
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