日記
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みなさん、こんにちは。
wbcの興奮が、なぜかまだ自分の中にあるというとんでもないなかですが、段々と日常が戻りつつあり、終わってしまったお祭りに哀愁を感じる今日このごろです。
で、今日は久しぶりの休みということで、テキトーに本屋にいって呼んだ本の感想でも書こうかなーと思いましたので書きます。いえい。
まずはじめは万城目学先生の『プリンセス・トヨトミ』です。
ええ、すごい題名でしょ、これ。
さらにはオビに書かれているあおり文句もすごい。
ちょっと正確には思い出せませんが、たしか「大阪、全停止」とかなんとか書かれていましたです。はい。
大阪停止ですよ?
もうこの文句だけで読み始めたわけですよ本屋で。ああ、立ち読みですがね。
そしたらなんか、会計検査院の猛者どもが大阪に検査に行くというところからはじまるんですが・・・・・
会計検査院ですよ?
もはやこの時点で、「うん、最後まで読もう」とか思いました。
会計検査院とは、いってしまえばそのままの意味で、ようは国の支出の会計を検査して不正をただすという期間ですね。
たしか、私の記憶が正しければ、この機関は行政機関に含まれていて、んでもって独立行政機関だったと思います。
ほら、独占禁止法をつかさどる公正取引委員会とかそういう感じです。
作中にもちょっと過剰ではないかと思うくらいの記述がありますが、内閣から独立して(完全に独立しているわけではないのですが)職務を全うする機関です。
こんなマイナーな存在に焦点をあてた作品が今まであっただろうか、いやない。
んでもって、物語もさくさく進み、けっこう面白かったです。
どれくら面白かったというと、なぜかその本を購入せずに、本屋で2時間ほど立ち読みで読破する程度には面白かったです(なにさま
いや、「買えよ!!」といった感じなのですが、ハードカバーですし、しかもこの作者さんのは一度読めばもうそれから未来永劫読み返さなくても別にいいんじゃね? という傲慢な考えが私の中にはあるので、とりあえず飽きるまで読むかと思って立ち読みしてたら2時間経過で完全読破という感じで・・・・・
正直、買えばよかったと思いました。
で、次が「とある飛空士の追憶」です。
去年のラノベベストセラーの一つですね。はい。
私は基本的に、世の中で評価されている作品はかたくなに読まないことにしているんですが、あまりにも反響が大きくて、さらにはちょっとその熱もおさまっている感じだったので
「フン、じゃあちょっと冷やかしてやろうかしら。べ、別に一ミクロンも期待なんかしてないんだからねっ!!」
とか思いながら読みました。気持ち悪いですね、この芸風。
で、やはり面白かったと、つまりはそういうわけですよ。
ところどころでキャラの視点がコロコロかわって読みにくい箇所があるのですが、
「そんなのはファナのかわいさの前ではどうでもいいことなんだよハゲ!!」
といった感じでしょうか。
まあ、こんな名作にいまさら私が感想なんて書くまでもないので、そんなに書きませんが、とにかく、面白くて、飛行機ドックファイトは正直燃えました。
飛行機ものはスカイ・クロラ(クロア?)を越えるものはでないと思っていたのですが、燃え系としての飛行機路線があったかという思いでいっぱいです。
スカイ・クロラのほうは、ちょっと哲学はいってるというか淡々とした村上春樹チックな感じですが。飛空士のほうは、燃えにくわえて萌ということで、まったく路線が違うのであります大佐どの。
まあ、それもこれもファナのかわいさがあってこそですけどね。
ファナが泥酔しながら「ばーか、ばーか、シャルルのばーか」とか言ってるシーンにはクラっときましたね。眩暈を感じました。クリティカルヒットでした。マゾですか。そうですか。
とりあえず、これ呼んだ直後に本屋に直行し、2巻を買ってきたわけですけどね。その2巻を買いにいった本屋でさっき書いた「トヨトミ・プリンセス」をぶっ続けで立ち読みしたので、今日はお腹いっぱいという感じでした。
とにかく、久しぶりに心おくまで本を読めた気がします。
普段も活字を嫌というほどに追っているのですが、いや、それはそれで楽しいのですが、やはり物語は別格というか別腹だなと感じました。
ということで、今日はおしまいです。
唐突ですが、今、私はチーズケーキが食べたいです。
異常。
いや、以上。
wbcの興奮が、なぜかまだ自分の中にあるというとんでもないなかですが、段々と日常が戻りつつあり、終わってしまったお祭りに哀愁を感じる今日このごろです。
で、今日は久しぶりの休みということで、テキトーに本屋にいって呼んだ本の感想でも書こうかなーと思いましたので書きます。いえい。
まずはじめは万城目学先生の『プリンセス・トヨトミ』です。
ええ、すごい題名でしょ、これ。
さらにはオビに書かれているあおり文句もすごい。
ちょっと正確には思い出せませんが、たしか「大阪、全停止」とかなんとか書かれていましたです。はい。
大阪停止ですよ?
もうこの文句だけで読み始めたわけですよ本屋で。ああ、立ち読みですがね。
そしたらなんか、会計検査院の猛者どもが大阪に検査に行くというところからはじまるんですが・・・・・
会計検査院ですよ?
もはやこの時点で、「うん、最後まで読もう」とか思いました。
会計検査院とは、いってしまえばそのままの意味で、ようは国の支出の会計を検査して不正をただすという期間ですね。
たしか、私の記憶が正しければ、この機関は行政機関に含まれていて、んでもって独立行政機関だったと思います。
ほら、独占禁止法をつかさどる公正取引委員会とかそういう感じです。
作中にもちょっと過剰ではないかと思うくらいの記述がありますが、内閣から独立して(完全に独立しているわけではないのですが)職務を全うする機関です。
こんなマイナーな存在に焦点をあてた作品が今まであっただろうか、いやない。
んでもって、物語もさくさく進み、けっこう面白かったです。
どれくら面白かったというと、なぜかその本を購入せずに、本屋で2時間ほど立ち読みで読破する程度には面白かったです(なにさま
いや、「買えよ!!」といった感じなのですが、ハードカバーですし、しかもこの作者さんのは一度読めばもうそれから未来永劫読み返さなくても別にいいんじゃね? という傲慢な考えが私の中にはあるので、とりあえず飽きるまで読むかと思って立ち読みしてたら2時間経過で完全読破という感じで・・・・・
正直、買えばよかったと思いました。
で、次が「とある飛空士の追憶」です。
去年のラノベベストセラーの一つですね。はい。
私は基本的に、世の中で評価されている作品はかたくなに読まないことにしているんですが、あまりにも反響が大きくて、さらにはちょっとその熱もおさまっている感じだったので
「フン、じゃあちょっと冷やかしてやろうかしら。べ、別に一ミクロンも期待なんかしてないんだからねっ!!」
とか思いながら読みました。気持ち悪いですね、この芸風。
で、やはり面白かったと、つまりはそういうわけですよ。
ところどころでキャラの視点がコロコロかわって読みにくい箇所があるのですが、
「そんなのはファナのかわいさの前ではどうでもいいことなんだよハゲ!!」
といった感じでしょうか。
まあ、こんな名作にいまさら私が感想なんて書くまでもないので、そんなに書きませんが、とにかく、面白くて、飛行機ドックファイトは正直燃えました。
飛行機ものはスカイ・クロラ(クロア?)を越えるものはでないと思っていたのですが、燃え系としての飛行機路線があったかという思いでいっぱいです。
スカイ・クロラのほうは、ちょっと哲学はいってるというか淡々とした村上春樹チックな感じですが。飛空士のほうは、燃えにくわえて萌ということで、まったく路線が違うのであります大佐どの。
まあ、それもこれもファナのかわいさがあってこそですけどね。
ファナが泥酔しながら「ばーか、ばーか、シャルルのばーか」とか言ってるシーンにはクラっときましたね。眩暈を感じました。クリティカルヒットでした。マゾですか。そうですか。
とりあえず、これ呼んだ直後に本屋に直行し、2巻を買ってきたわけですけどね。その2巻を買いにいった本屋でさっき書いた「トヨトミ・プリンセス」をぶっ続けで立ち読みしたので、今日はお腹いっぱいという感じでした。
とにかく、久しぶりに心おくまで本を読めた気がします。
普段も活字を嫌というほどに追っているのですが、いや、それはそれで楽しいのですが、やはり物語は別格というか別腹だなと感じました。
ということで、今日はおしまいです。
唐突ですが、今、私はチーズケーキが食べたいです。
異常。
いや、以上。
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また一つ名作が終わってしまいましたね。いやはや、残念な限りです。
このたび、竹宮ゆゆこ先生のとらドラ!が最終巻をむかえたわけですが、やはりこの人の書く小説はもう最初から最後までおかしいくらいなまでのネタ満載で、とても素晴らしいものがありました。
普通、中だるみしますよねラブコメとか。それか、何故かよく分からない新キャラがいきなり登場して場を持たせるというか、もうネタがないからとりあえず登場人物増やしとくかみたいな「ちょっとちょっと」という展開になるのが普通のラブコメ。長くなるにつれて、避けることのない運命なのでしょうが……
とらドラ!はまったく違うと。つまりはそういうわけなんでしょう。亜美の登場はありましたが、あれは「途中から登場させる」必要があるキラで、事情は違うと思います。こんなふうに、最初からプロットきまっててキャラクターを破壊しないで話を進めていくというのは、このごろ見ないようなラブコメでした。
これまた自論になるのですが、小説って、「物語」を優先するのか「キャラクター」を優先するのかっていうバランスがけっこう難しいと思うんです。
ラノベというのは、一般の小説とは違って、この「キャラクター」に対する比重が、「物語」に対する比重よりも高いと思うんですよ。
東野圭吾とか今をときめく売れっ子作家の書く小説とは、まずテーマありきで物語優先。キャラクターが動くというよりは、物語にあわせてキャラクターをうごかす。ここにはおのずと、原作者にキャラクター破壊がおこります。物語を進めるために、なんだかキャラクターが喋っているというよりは、作者が喋っている。物語を進めるためだけにキャラクターが動く。まさに作者の定めたテーマを体現するための操り人形にキャラクターがなってしまうんだと思うんです。
別に、これが悪いということではなくて、キャラクターよりも物語に比重が置かれているというだけのことなのでしょうが、ダメなのは、最初はキャラクター小説で、けっこうクセのあるというか個性的なキャラクターが、物語を進めるためだけに、らしくない行動や言動をするという現象でしょう。
そしてこの現象が、最近のラノベ界というかラブコメ界におおくなってきているんじゃないかなーとそう思うわけです。
しかし、
しかし、とらドラ!はそうじゃない。キャラクターの設定が最後まで生きている。とらドラ最終巻で、竜児が自分の家に帰ったあとで、絶望的なその状況下で自分の家を掃除する場面なんて、そのいい例だと思います。
あの「掃除をする」という記号を最後まで生かしながら、それでいてそのキャラクターの個性をとおして、主人公の心情を描いた。最後の覚悟を決めるのに必要なワンクッションを「掃除をする」ということをとおして描ききった。これはすごいことです。
こんな展開、自分には当然かけません。当たり前なのでしょうが書けるわけない。誰にもかけるわけがない。普通は、なんだかよくわからないうちにキャラが訳もわからず悟りを開いたかのような非現実的な覚悟を決めるという「読者置き去り状態」が生じるのが常なのではないでしょうか。
しかしとらドラ!は最後までキャラクターを物語を動かすための操り人形にすることなく、最初のキャラクター小説としての側面を貫きとおしたわけです。
うん、すばらしい。なんかこの言い方は実に偉そうですが、本当にすごい。とらドラ!はまさしく名作です。
……しかし、本当に終わってしまうんですね。ぶっちゃけ、私としてはもっと続けてもいいんじゃないかというか、もっと続けるだけのネタもエネルギーもまだまだこの「とらドラ!」という作品には残っていると思うんですが……うーん、しかし、やはりこのタイミングで幕を引くのがいいんですかね?
だって、普通はこのタイミングに終わりませんよ。アニメが大ヒットして、作品として絶頂にあって、単行本も売れまくっているというのに最終巻にしてしまうというのは、作家さんの作品に対する真摯な気持ちがここからもうかがい知れることができます。
そして、よく編集も許可をだしましたね。その意味で電撃文庫のふところもやはり広くてすばらしい出版社なのでしょう。
なんか色々書きましたが、とにかく「とらドラ!」はすばらしかった。竹宮先生には次回作をはげしく期待です。
……しかし、寂しくなるな~。
このたび、竹宮ゆゆこ先生のとらドラ!が最終巻をむかえたわけですが、やはりこの人の書く小説はもう最初から最後までおかしいくらいなまでのネタ満載で、とても素晴らしいものがありました。
普通、中だるみしますよねラブコメとか。それか、何故かよく分からない新キャラがいきなり登場して場を持たせるというか、もうネタがないからとりあえず登場人物増やしとくかみたいな「ちょっとちょっと」という展開になるのが普通のラブコメ。長くなるにつれて、避けることのない運命なのでしょうが……
とらドラ!はまったく違うと。つまりはそういうわけなんでしょう。亜美の登場はありましたが、あれは「途中から登場させる」必要があるキラで、事情は違うと思います。こんなふうに、最初からプロットきまっててキャラクターを破壊しないで話を進めていくというのは、このごろ見ないようなラブコメでした。
これまた自論になるのですが、小説って、「物語」を優先するのか「キャラクター」を優先するのかっていうバランスがけっこう難しいと思うんです。
ラノベというのは、一般の小説とは違って、この「キャラクター」に対する比重が、「物語」に対する比重よりも高いと思うんですよ。
東野圭吾とか今をときめく売れっ子作家の書く小説とは、まずテーマありきで物語優先。キャラクターが動くというよりは、物語にあわせてキャラクターをうごかす。ここにはおのずと、原作者にキャラクター破壊がおこります。物語を進めるために、なんだかキャラクターが喋っているというよりは、作者が喋っている。物語を進めるためだけにキャラクターが動く。まさに作者の定めたテーマを体現するための操り人形にキャラクターがなってしまうんだと思うんです。
別に、これが悪いということではなくて、キャラクターよりも物語に比重が置かれているというだけのことなのでしょうが、ダメなのは、最初はキャラクター小説で、けっこうクセのあるというか個性的なキャラクターが、物語を進めるためだけに、らしくない行動や言動をするという現象でしょう。
そしてこの現象が、最近のラノベ界というかラブコメ界におおくなってきているんじゃないかなーとそう思うわけです。
しかし、
しかし、とらドラ!はそうじゃない。キャラクターの設定が最後まで生きている。とらドラ最終巻で、竜児が自分の家に帰ったあとで、絶望的なその状況下で自分の家を掃除する場面なんて、そのいい例だと思います。
あの「掃除をする」という記号を最後まで生かしながら、それでいてそのキャラクターの個性をとおして、主人公の心情を描いた。最後の覚悟を決めるのに必要なワンクッションを「掃除をする」ということをとおして描ききった。これはすごいことです。
こんな展開、自分には当然かけません。当たり前なのでしょうが書けるわけない。誰にもかけるわけがない。普通は、なんだかよくわからないうちにキャラが訳もわからず悟りを開いたかのような非現実的な覚悟を決めるという「読者置き去り状態」が生じるのが常なのではないでしょうか。
しかしとらドラ!は最後までキャラクターを物語を動かすための操り人形にすることなく、最初のキャラクター小説としての側面を貫きとおしたわけです。
うん、すばらしい。なんかこの言い方は実に偉そうですが、本当にすごい。とらドラ!はまさしく名作です。
……しかし、本当に終わってしまうんですね。ぶっちゃけ、私としてはもっと続けてもいいんじゃないかというか、もっと続けるだけのネタもエネルギーもまだまだこの「とらドラ!」という作品には残っていると思うんですが……うーん、しかし、やはりこのタイミングで幕を引くのがいいんですかね?
だって、普通はこのタイミングに終わりませんよ。アニメが大ヒットして、作品として絶頂にあって、単行本も売れまくっているというのに最終巻にしてしまうというのは、作家さんの作品に対する真摯な気持ちがここからもうかがい知れることができます。
そして、よく編集も許可をだしましたね。その意味で電撃文庫のふところもやはり広くてすばらしい出版社なのでしょう。
なんか色々書きましたが、とにかく「とらドラ!」はすばらしかった。竹宮先生には次回作をはげしく期待です。
……しかし、寂しくなるな~。
いやー、もういきなりにもいきなり、そして今更ながらに今更ながらになのですが、「ヘルシング」にはまってしまったんですよ、これがまた。
すごいですね、コレ。
溢れるばかりの狂気。吸血鬼? そんな甘いものじゃあない。カトリックもプロテスタントもナチスドイツもてんこもりで、いざゆかん、混沌に満ちあふれた新世界へ!!
といった感じで、いやはや、とにかくビクビクふるえてしまうわけですよこれが。
アニメ版のヘルシングなら知ってたんですが、このたび漫画を買ったんですよ。
時代遅れ乙、といった感じでしょうが。まあ、その買った契機というのも、「のべるげ!」作成の一場面を書くために必要だという不純な動機だったのですが、買ってよかったです。
買ってよかったですとか言ってますけど、いやあ、なんでこんなになるまで読まなかったんでしょうね。
何か・・・・・・・・・・はい。なんか飽きたので日記書くのやめまーす。終わりでーす。さようならー。
・・・・・なんだこのフリーダム。
すごいですね、コレ。
溢れるばかりの狂気。吸血鬼? そんな甘いものじゃあない。カトリックもプロテスタントもナチスドイツもてんこもりで、いざゆかん、混沌に満ちあふれた新世界へ!!
といった感じで、いやはや、とにかくビクビクふるえてしまうわけですよこれが。
アニメ版のヘルシングなら知ってたんですが、このたび漫画を買ったんですよ。
時代遅れ乙、といった感じでしょうが。まあ、その買った契機というのも、「のべるげ!」作成の一場面を書くために必要だという不純な動機だったのですが、買ってよかったです。
買ってよかったですとか言ってますけど、いやあ、なんでこんなになるまで読まなかったんでしょうね。
何か・・・・・・・・・・はい。なんか飽きたので日記書くのやめまーす。終わりでーす。さようならー。
・・・・・なんだこのフリーダム。
いやあ、最終回ですね~。
非常に残念ですが、それでも・・・・・・それでもこの「のべるげ!」は最後まで最高の作品でした!
素晴らしい。その一言につきる。これは本当に・・・・・なんなんでしょうね。すごいですね。こんな話、誰にも思いつけないというか、思いついてもやらないというか、とにかく素晴らしすぎる作品でした。
ネタバレになるんで、詳細は書きませんがね。直人の最後の名言とか、もう、画面の前で笑いこけましたよ。
いや、ちょっと普段ニコニコとかで「腹筋がwwww」とかいうコメントが流れてますが、そこまで腹筋つるほど笑うなんてことないと思うんですよ。
しかしですね。もう私、初めての経験なのですが、本当に画面の前で笑いすぎて、腹筋が痛くなって、それどころか、なんか呼吸困難においいって、気持ち悪くなってしまうという・・・・・
隣の部屋の人とかにちょっと迷惑かけるがごとくの大爆笑ですからね。いやでも仕方ないですよ。予想外すぎですもん。
こんな展開を誰も予想できるはずがない。
ケイのあれやらで普通このまま行くのんだろうと思っていたら、最後の最後でまたしてもという感じで、さらに主人公の名言炸裂、そして颯爽とフェイドアウトでぶった切るとか・・・・・・・ルーツ、恐ろしい子ガクガク
いやあ、傍から自分のことみれば、相当気持ち悪い光景がそこにはありましたよ。PCの画面の前で大爆笑ですからね。呼吸困難におちいるほどの大爆笑とか・・・・・精神に異常をきたしたとしか思えませんよ自分でも。
それでもなんでも、何回も繰り返しますが、この作品は本当にすごいです。
絵もうまいですしねー。物語も面白いし、すごい才能だと思います。
とにもかくにもルーツさんには感動と大爆笑をありがとうと、心の底から言いたい。
これからも何か、黒歴史系というか、ノベルゲームを作成してほしいものです。
もちろん、漫画でも小説でもいいですが・・・・・ああ、しかし終わってしまったんですね。
残念でなりません。
残念でなりませんが、しかしどんな素晴らしい作品にも終わりはくるもので、この終わりがあるからこそグダグダにならずに物語りが成り立つということで一つ。
もう自分でも何を書いてるのかわからなくなってくるほどの支離滅裂状態です。ついさきほど動画を見終わって、そのままの興奮のままで文章書いているのでしょうがないのでしょうが、もう少しなんとかならないかなと思いました。
いやあ、素晴らしかった。
「のべるげ!」は永久に不滅です。感動をどうもありがとう。
とらドラってあるじゃないですか?
あるじゃないですかっていうかあるんですが、そして、今現在大絶賛でアニメなんか放映中なんですが、うん、ちょっとばかし書きなぐりたいことができたので書きます。
いや、この日記でもとらドラのアニメ版を書いたことあるんですが、そしてそのときにはもう「楽しみでしょうがねええ」状態だったんですがね。
いつからでしょうか。
その感情は、いつから生まれていたのでしょうか。
気がついたら、そこにいた。
気付いたら、そこにあった。
意識するとしないとを問わず、DNAに刻まれた螺旋の力といでもいうべきなのでしょうか。
とらドラ。
アニメ。
原作。
そして原理主義者。
イスラム原理主義者ならぬ、
原作原理主義者。
今までその身分を隠してきましたが、私は完全なる原作原理主義者です。
原作以外は認めない。メディアミックス? 公式に二次創作の間違いだろカスが!!
みたいな感じで、私の血液細胞すべての体に刻み込まれているDNA、その中に生まれたときから含まれているその塩基配列が、私にこう言うんですよ。
「原作以外を認めるな。どうせろくなことにならない」
みたいなね。あははは。気持ち悪いなじっさい。しかしですよ。もう今まで人生生きてきて悟ってましたよ。ええ。原作こそ最高で、原作以外で成功するなんてことはありえなくて、いや、まあそのメディアミックスから入れればいいんですよ。
アニメ化されたものだけを見れればもう完璧にそれにはまります。はまりまくりです。散財の嵐が巻き起こるでしょう。その物語に心の底から心酔し、信者になること間違いなしです。
ですがね。
ですが、原作から入ってしまうともうダメなんですよ。原作をこよなく愛し、その後にでてきた漫画やらアニメをみると途端に幻滅を覚えます。
別に作品が汚されたとか、そういうことは思わないんですけどね。「しょせん二次創作だったんだろ? 原作の物語とはまったく関係ないよ」という防衛機制をきかせてまったく問題ありません。
しかし、もうどうしようもないんですよね。違和感があるんですよ。なんか引っかかる。よく分からない。どこかおかしい。どこが変なのか分からない。でも違和感がある違和感がある違和感がある喉の奥に魚の骨がつまっているというほどの違和感ではなく、口の中にできものができてそれを始終舌で触っているような感触というか・・・・・・・
それでですね。とらドラのアニメもその原作原理主義者としての血がたぎったわけですよ。
はじめはよかったです。物語は素晴らしかったですし、アニメでもちゃんとキャラがたってましたし、どこも問題はないはずなんです。ええ。アニメから入っていれば、間違いなく毎週を楽しみにできたと、毎週水曜日が楽しみでならないと、木曜日の朝が待ち遠しいと、そう思っていたことでしょう。
プールでしたね。
私の原作原理主義者の血が完全に覚醒したのは、亜美が登場した直後のプール編でしたね。
「あ、こりゃダメだ」
みたいな感じで発動しました。何がダメなのか、アニメの面白さはそのままで、まったく変わらない面白さがそこにある。だけでダメなんですよ。もうそれ以上は見れないんですよ。自分でも何故このような感情が生まれるのか分かりません。
一回見たことのある物語だと、二回目からだと飽きてしまうんでしょうかね。
確かに、自分の中にはそういう部分があるんですよね、といっても他の人もあるんでしょうが。
二回目だとダメなんですよ。批評能力というか揚げ足とり能力というか、突っ込みまくっちゃうんですよね。アラが見えてしまうというか、なんでこういうふうにしたのか、そういうことばかり感じてしまって、物語そのものに集中できないんですよ。
ですから、空の境界を見るにあたっては、極力原作をこれ以上見ないようにしておきました。内容を忘れてしまうまで忘却しろとばかりに本を遠ざけてました。そのおかげで、まあなんとか、見れるというか、「ショボ~ン」みたいな気持ちになることを押さえることに成功したんですねこれが。
それがとらドラにおいては何もそういうことやってなかったんですね。で、そこまでヒドくはならないだろうと楽観していたんですが残念ながら、はい、ズド~ンみたいな。
記憶をなくす装置とか必要だと思いませんか?それさえあればもうダイジョウブなんですけどね。それに記憶忘却装置があれば、何度でも作品を楽しめるんですよ? こんな素晴らしいことはない。とっととSONYだかどっかが開発すべきです。はやくしてください。
しかし、やはりとらドラのアニメは素晴らしいと思うんですよ。作画いいし、脚本が馬鹿やってるわけでもないしむしろ話と話を見事に繋げていますしね。名作ですよ。とらドラのアニメも。
で、私ももうそろそろアニメを見てみようと思うんですよ。というか明日ですね。17話だか18話なんですが、もうそろそろ見てみようと思うんです。
こんなところで宣言しないで勝手に見ろよハゲ!! と思われかもしれないというか思われるでしょうが、いや、ここで宣言しておかば……宣言しておけば・・・・・いや、宣言しようがしまいがまったく関係ありませんね。なんだそりゃ。
しかしですね。
しかし、もうそろそろアニメは原作から完全に外れると思うんですよ。今までもおそらく、どこかしらは原作とはことなるストーリーだったのでしょうが、もうそういう些末な差異ではなく、根本的な変換を強いられると思うんですよ。
あれですよあれ。
鋼の錬金術師のアニメ版ですよ。最初はけっこう原作どおりというかストーリーの根幹は一緒だったのに、もう最後はまったく違うというか、はるか彼方に吹っ飛んでいっちゃったわけですが、そしてあの展開、けっこう私は好きなのですが、そういう変化を期待しているのであります。
やってくれますよ。とらドラアニメの脚本家ならばやってくれますよ。だって原作完結してませんからね。アニメはアニメの落としどころにおとすしかないでしょう。
いやー楽しみですね。誰ともくっつかないエンドならば私はテロを仕掛け・・・・・・・・いえ、なんでもありません。とにかく誰かとくっつくエンドならなんでもいいです。
実乃梨だろうが亜美だろうが大河だろうが大穴で春田の彼女の瀬奈だろうがね、とにかく誰かとくっついてくれれば最高です。殉じれます。ええ。アニメに殉じることさえ可能でしょう。ふふふ・・・・・・
とまあ、原作原理主義者、原作原理主義者と書きまくってきましたが、私の症状は原作原理主義者のソレではないんでしょうね。
まあ、もうなんでもいいですよ。とにかくアニメが原作のルートから外れて、オリジナル展開さえ見れれば・・・・・・そして原作のほうでもすばらしいラストが待っていてくれるのならば、もう何も言うことはありません。
とらドラは本当に面白いと思うんです。竹宮ゆゆこという作家は素晴らしいと思います。王道と見せかけて変化球を投げてきたと思ったら実はそれこそが一番の王道一直線で、起承転結ならぬ起転転結のような怒涛の展開を楽しませてくれるのですから。
とらドラは最高です。できれば、アニメでもそう思いたいです。だいぶ遅れてしまったけれど、まだまだ祭りは終わってない・・・・・俺達の戦いはこれからだ!! ・・・・・・・みたいな。
あるじゃないですかっていうかあるんですが、そして、今現在大絶賛でアニメなんか放映中なんですが、うん、ちょっとばかし書きなぐりたいことができたので書きます。
いや、この日記でもとらドラのアニメ版を書いたことあるんですが、そしてそのときにはもう「楽しみでしょうがねええ」状態だったんですがね。
いつからでしょうか。
その感情は、いつから生まれていたのでしょうか。
気がついたら、そこにいた。
気付いたら、そこにあった。
意識するとしないとを問わず、DNAに刻まれた螺旋の力といでもいうべきなのでしょうか。
とらドラ。
アニメ。
原作。
そして原理主義者。
イスラム原理主義者ならぬ、
原作原理主義者。
今までその身分を隠してきましたが、私は完全なる原作原理主義者です。
原作以外は認めない。メディアミックス? 公式に二次創作の間違いだろカスが!!
みたいな感じで、私の血液細胞すべての体に刻み込まれているDNA、その中に生まれたときから含まれているその塩基配列が、私にこう言うんですよ。
「原作以外を認めるな。どうせろくなことにならない」
みたいなね。あははは。気持ち悪いなじっさい。しかしですよ。もう今まで人生生きてきて悟ってましたよ。ええ。原作こそ最高で、原作以外で成功するなんてことはありえなくて、いや、まあそのメディアミックスから入れればいいんですよ。
アニメ化されたものだけを見れればもう完璧にそれにはまります。はまりまくりです。散財の嵐が巻き起こるでしょう。その物語に心の底から心酔し、信者になること間違いなしです。
ですがね。
ですが、原作から入ってしまうともうダメなんですよ。原作をこよなく愛し、その後にでてきた漫画やらアニメをみると途端に幻滅を覚えます。
別に作品が汚されたとか、そういうことは思わないんですけどね。「しょせん二次創作だったんだろ? 原作の物語とはまったく関係ないよ」という防衛機制をきかせてまったく問題ありません。
しかし、もうどうしようもないんですよね。違和感があるんですよ。なんか引っかかる。よく分からない。どこかおかしい。どこが変なのか分からない。でも違和感がある違和感がある違和感がある喉の奥に魚の骨がつまっているというほどの違和感ではなく、口の中にできものができてそれを始終舌で触っているような感触というか・・・・・・・
それでですね。とらドラのアニメもその原作原理主義者としての血がたぎったわけですよ。
はじめはよかったです。物語は素晴らしかったですし、アニメでもちゃんとキャラがたってましたし、どこも問題はないはずなんです。ええ。アニメから入っていれば、間違いなく毎週を楽しみにできたと、毎週水曜日が楽しみでならないと、木曜日の朝が待ち遠しいと、そう思っていたことでしょう。
プールでしたね。
私の原作原理主義者の血が完全に覚醒したのは、亜美が登場した直後のプール編でしたね。
「あ、こりゃダメだ」
みたいな感じで発動しました。何がダメなのか、アニメの面白さはそのままで、まったく変わらない面白さがそこにある。だけでダメなんですよ。もうそれ以上は見れないんですよ。自分でも何故このような感情が生まれるのか分かりません。
一回見たことのある物語だと、二回目からだと飽きてしまうんでしょうかね。
確かに、自分の中にはそういう部分があるんですよね、といっても他の人もあるんでしょうが。
二回目だとダメなんですよ。批評能力というか揚げ足とり能力というか、突っ込みまくっちゃうんですよね。アラが見えてしまうというか、なんでこういうふうにしたのか、そういうことばかり感じてしまって、物語そのものに集中できないんですよ。
ですから、空の境界を見るにあたっては、極力原作をこれ以上見ないようにしておきました。内容を忘れてしまうまで忘却しろとばかりに本を遠ざけてました。そのおかげで、まあなんとか、見れるというか、「ショボ~ン」みたいな気持ちになることを押さえることに成功したんですねこれが。
それがとらドラにおいては何もそういうことやってなかったんですね。で、そこまでヒドくはならないだろうと楽観していたんですが残念ながら、はい、ズド~ンみたいな。
記憶をなくす装置とか必要だと思いませんか?それさえあればもうダイジョウブなんですけどね。それに記憶忘却装置があれば、何度でも作品を楽しめるんですよ? こんな素晴らしいことはない。とっととSONYだかどっかが開発すべきです。はやくしてください。
しかし、やはりとらドラのアニメは素晴らしいと思うんですよ。作画いいし、脚本が馬鹿やってるわけでもないしむしろ話と話を見事に繋げていますしね。名作ですよ。とらドラのアニメも。
で、私ももうそろそろアニメを見てみようと思うんですよ。というか明日ですね。17話だか18話なんですが、もうそろそろ見てみようと思うんです。
こんなところで宣言しないで勝手に見ろよハゲ!! と思われかもしれないというか思われるでしょうが、いや、ここで宣言しておかば……宣言しておけば・・・・・いや、宣言しようがしまいがまったく関係ありませんね。なんだそりゃ。
しかしですね。
しかし、もうそろそろアニメは原作から完全に外れると思うんですよ。今までもおそらく、どこかしらは原作とはことなるストーリーだったのでしょうが、もうそういう些末な差異ではなく、根本的な変換を強いられると思うんですよ。
あれですよあれ。
鋼の錬金術師のアニメ版ですよ。最初はけっこう原作どおりというかストーリーの根幹は一緒だったのに、もう最後はまったく違うというか、はるか彼方に吹っ飛んでいっちゃったわけですが、そしてあの展開、けっこう私は好きなのですが、そういう変化を期待しているのであります。
やってくれますよ。とらドラアニメの脚本家ならばやってくれますよ。だって原作完結してませんからね。アニメはアニメの落としどころにおとすしかないでしょう。
いやー楽しみですね。誰ともくっつかないエンドならば私はテロを仕掛け・・・・・・・・いえ、なんでもありません。とにかく誰かとくっつくエンドならなんでもいいです。
実乃梨だろうが亜美だろうが大河だろうが大穴で春田の彼女の瀬奈だろうがね、とにかく誰かとくっついてくれれば最高です。殉じれます。ええ。アニメに殉じることさえ可能でしょう。ふふふ・・・・・・
とまあ、原作原理主義者、原作原理主義者と書きまくってきましたが、私の症状は原作原理主義者のソレではないんでしょうね。
まあ、もうなんでもいいですよ。とにかくアニメが原作のルートから外れて、オリジナル展開さえ見れれば・・・・・・そして原作のほうでもすばらしいラストが待っていてくれるのならば、もう何も言うことはありません。
とらドラは本当に面白いと思うんです。竹宮ゆゆこという作家は素晴らしいと思います。王道と見せかけて変化球を投げてきたと思ったら実はそれこそが一番の王道一直線で、起承転結ならぬ起転転結のような怒涛の展開を楽しませてくれるのですから。
とらドラは最高です。できれば、アニメでもそう思いたいです。だいぶ遅れてしまったけれど、まだまだ祭りは終わってない・・・・・俺達の戦いはこれからだ!! ・・・・・・・みたいな。